前回のお話
2019年4月9日のブログ
そうこちゃんの世界:④Home Sweet Home

 

 

 

 

市川市によると、地域猫活動とは、

地域住人が主体となり、
野良猫に不妊等手術をして適切な管理を行い、

野良猫の数を減らすことで野良猫問題を解決し、
住みよいまちをつくるための活動。

この活動は、“猫が可哀想だから”という視点ではなく、
野良猫によるトラブルをなくすための
地域の「環境保全活動」です。

だそうです。

 

【地域猫のルール】

■不妊手術を済ませ、許可を受けた場所で地域住人が世話をする。
■給餌は決められた場所で、決められた時間に行う。
■糞尿の始末をして、近隣の環境保全に配慮する。

 

 

 

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そうこちゃんの現状と照らし合わせると、
そうこちゃんは理想的な地域猫ということになります。

 

もともとは、猫を見ると餌をやらずにいられないおばあさんが、
子育てをするそうこちゃんを見たことから始まった給餌です。
不妊手術、場所の許可、衛生管理は後づけになりましたが、
それでも、地域猫の形としては、成りたっています。

これからも、このままずっと倉庫で生き続けていれば、
いつかその一生を終える時が、そうこちゃんにもやって来ます。
その時、倉庫での地域猫活動は終わりになるのです。

「そうこちゃんは2才前後だと思う」
2014年に不妊手術をした際の、獣医さんの見立てでした。
つまり、2018年秋の時点でそうこちゃんは6才です。

 

野良猫の寿命は4~5年と言われていますが、
もっともっと長く生きている猫達もいます。
外で生きている猫でも、毎日ご飯が食べられて、
病気や怪我の手当てをしてもらえる猫がいます。
中には、そうこちゃんのように寝床のある猫もいます。
出入り自由の飼い猫と大差ない生き方。
(千葉県は飼い猫は室内で飼うことを推奨しています。)

大きな病気や怪我をすることなく、このまま過ごせれば、
そうこちゃんは長生き出来る可能性があります。
例えば、そうこちゃんが16年生きるとしたら、
あと10 年は倉庫で生きる、ということです。

う~ん、どうなんだろうか。
大変失礼な言い方になってしまいますが、
餌やりおばあさんも、倉庫所有者のOさんも、
あと10年も生きていないかもしれない。

 

繰り返しになりますが、そうこちゃんは理想的な地域猫です。
急いで、無理して、保護する必要は当面ありませんが、
あと10年、人間達がこの状況を守り続けてあげられるのか、
と言ったら、かなり不安です。

そうこちゃんを何とかしてあげなくてはならない時が、
近い将来、来るかもしれないと、いつも思っていました。

 

 

 

私はこのそうこちゃん一家の件がきっかけで、
餌やりおばあさん=重田さんと知り合いになりました。
ボランティアの三木さんと一緒に、
2015年末にも、重田邸でのTNRを手伝いました。
近所の店でバッタリ出くわすこともありましたし、
おばあさんの飼い猫の首輪の注文を頼まれたこともあります。
(出入り自由の飼い猫が1匹いるのですが、庭にいる猫達と
扱いはあまり変わりません。)

最初の頃、おばあさんは、私の顔を見る度に、
「あなたボランティアの人だね」と言っていましたが、
この4年の間に、おばあさんの記憶がまだらになっていきました。

ある時は、
「この子はね、私がずっとご飯をあげてるんだよ。
どっかのボランティアさんが手術してくれたの。」
(私だねそれ。)

また、ある時は、
「許可をもらっていないのに、ここで餌やりしたらだめですよ、
なんて怒った、心の冷たい女がいた。」
(それも私。)

あの雪の日の、「高校生がハウスを作ってくれた」の後、
私が倉庫の掃除をしていたら、
「ここはいつも大学生の女の子が2人、掃除してるよ。」
と言ったこともありました。
(それは私と、ねこ藩・Sさん。)

 

おばあさんに会うたびに、
おばあさんの私に関する記憶はリセットされ、
毎回、私は「初めて会う知らない人」になりました。

おばあさんは、日によって、態度が違いました。
にこやかな時もあれば、怒りっぽい時もある。
長い付き合いがあり、これまでに何度も庭の猫問題を解決した
ボランティアの三木さんをを覚えていることもあれば、
三木さんという存在を忘れていることもある。

 

おばあさんが決して忘れなかったのは、
1日3回の、そうこちゃんへの給餌だけです。

そして、私が、時々、繰り返し質問する、
「保護してもいいんですか?」に対しては

「どうぜ人間は自分の都合で猫を捨てる。
だから、私の猫を連れていくな(怒)。」
という、一貫した答えでした。

 

そのように言われ続けてしまうと、
おばあさんが可愛がっているそうこちゃんを
倉庫から保護してどこかに連れて行くことは出来ません。
おばあさんは、自分の猫だと思っているのです。

 

 

 

ところが、ある日、予想しなかったことが起こりました。
私がそうこちゃんの寝床の敷き物を替えていた時のことです。
少しだけ開いた門の隙間から、おばあさんが顔を出しました。

ねえ、お姉さん、あなた、ボランティアのひと? 
ここの猫、どっかにやってくれない?
あたしだって、いつまで生きてるかわかんないし、
これまでずっとご飯をあげてきたけどね、
毎回、道路わたってご飯をあげに来るの、疲れるのよ。
この猫さえどっかに行ってくれれば、あたしだって、
こんなこと続けなくたっていいんだから。

 

ついに、おばあさんから、その言葉が出ました。
と、同時に、私はとてもとても悲しくなりました。
建築廃材の上からこちらを眺めているそうこちゃんを見て、
泣き出したい気持ちになりました。

 

4年もの間、ご飯をあげて可愛がっていた猫でしょう?
それを「この猫さえどっかに行ってくれれば」って、
そんな言い方ってある? 大切な猫だったんじゃないの?
4年前に、「猫を元に戻さなかったら承知しないよ!」
って、あんなに怒って言ってたじゃない!

 

でも、そうこちゃんがこれまで生きてこられたのは、
おばあさんの給餌があったからこそ。
「わかりました。何とかします。」
私はぐっと堪えて、足早に倉庫を去りました。

 

 

 

そうこちゃんの子、ナリとチカを貰って下さったAさんが、
「そうこちゃんをうちで保護してあげたい」
と、以前、言って下さったことがありましたが、
Aさんは腎臓病を抱えた、捨て猫さくらちゃんを
保護して家にいれてあげていましたので、
実質、Aさんにはもう無理だろうと思いました。

また、個人でTNRと保護を続けているIKさんも
そうこちゃんのことを気にして下さっていました。
「そうこちゃんをお願い」と言えば、
心よく預かって下さったに違いありませんが、
IKさん自身も、大人猫の保護が続いていましたので、
まずはIKさんの保護猫が卒業してから・・・と考えました。

 

「とりあえず、我が家に連れてこよう。」
家人もそうこちゃんの存在を知っているのだから、
何とか家人を説得して、落ち着き先が決まるまで
我が家で過ごしてもらおう。そんな風に思っていました。

それに、うちの飼い猫・くりこやこまつとは、
近い血縁であるはずのそうこちゃんです。
母猫かもしれないし、きょうだいかもしれない。
普段は保護猫に苦手意識を持つくりこだけれど、
そうこちゃんとは通じ合うものがあるかも。
そう考えると、少し気が楽になりました。

 

 

数日して、ハッと、あることを思い出しました。
1年くらい前だったか、ねこ藩・Sさんから聞いた話です。

■Sさんの友人・Hさんがよく行く天ぷら屋さんに、SSさんという女性がたまに来る。
■SSさんは、先がそう長くはない高齢の飼い猫の看病をしている。
■飼い猫が亡くなったら、行き場のない野良猫を飼ってあげたいので
そういうお話があったら教えてください、とSSさんが言っていた。

もし、SSさんの飼い猫さんが既に亡くなっていて、
SSさんがまだ、行き場のない野良猫を飼ってあげたいと
思って下さっているのならば、
SSさんに、そうこちゃんを託すというのはどうだろうか。

私はSSさんの連絡先を聞き、すぐに電話をしました。

SSさんが看病していた飼い猫さんは、
半年程前に、長い闘病の末に亡くなったいました。
その直後、他県に住むSSさんの知人が急に亡くなり、
その知人が長い間、飼っていた飼い猫が、
保健所に連れて行かれたことを知ったSSさんは、
急いでその猫を迎えに行き、引き取ったそうです。
そして高齢だったその猫も、夏に、
SSさんが見守る中、亡くなったそうです。

お話を伺った後で、私はそうこちゃんの話をしました。
SSさんは言いました。

「はい。私、そうこちゃん、飼います。」

 

そうこちゃん、あなたに、
あなただけの飼い主さんが出来るよ!
ずっと頑張ってきて良かったね。

 

 

 

 

 

11月26日。
まだ朝の暗いうちに、倉庫に捕獲器をしかけました。
そうこちゃんはハウスの中でぼーっと眠そうな顔をしていました。
4年前のTNRの際、子供のぽぽちゃんと一緒に
あっさり捕獲器に入ったそうこちゃん。
あの時のことを覚えていませんように。

 

私は何度も捕獲器のチェックに出向きました。
5時45分:×
6時15分:×
6時45分:×
7時15分:×
7時45分:入ってる!

そうこちゃんが、外の世界を卒業する瞬間です。

 

「寒かったでしょう?」

我が家の玄関内に毛布を敷き、その上に捕獲器を置いて、
低温ヒーターを入れました。
10時過ぎに病院で、駆虫、検便、血液ウィルス検査、
インターキャット(抗生剤)、三種混合ワクチン等、
室内に入る為の必要な医療行為を済ませます。

 

 

そうこちゃんをキャリーに入れ替えて我が家にいったん戻り、
SSさん宅に持って行く、フードやトイレ砂の用意をします。

準備をしながら、私は少しだけセンチメンタルな気分になりました。

今日はそうこちゃんの門出の日だというのに、
心から喜んであげなくてはならないのに、
この切なさは、いったい、なんだろう。

 

 

SSさん宅に届ける途中、おばあさん宅に寄り、
キャリーの中のそうこちゃんを見せて、お別れをしてもらいました。

お姉さん、どっから来たの?
あら、この猫はどこの猫?
ああ、あの倉庫の猫だね? 
えっ、貰われて行くの?
飼い猫になるの~、ああ、そう。
私がずっとご飯をあげてた猫だよ、この子は。
で、お姉さん、どっから・・・(初めに戻る)

(-_-;)

 

堂々巡りの話に付き合っている時間はありません。
「おばあさん、これまでありがとうね。」
そう言って、先を急ぎました。

 

 

SSさんは、ソフトナイロンケージに、
ベッドと毛布とトイレを用意して待機していて下さいました。
「触れなくても大丈夫。徐々に慣れていくから。」

 

 

SSさんは質素な暮らしをなさっている方ですが、
ご自分で出来る範囲で、猫の世話をきちんとして下さる方です。
私には不安などこれっぽちもありません。

そうこちゃんはパニックになることも暴れることもなく、
新しい環境と、新しい飼い主さんを、静かに受け入れたようです。

触ろうとすると逃げるので、無理強いはしない、
と見守って下さっていたSSさんですが、
移動してから4ヶ月、そうこちゃんは
触らせてくれるようになったそうです。
獣医でそうこちゃんの風邪薬を処方してもらい、
きちんと飲ませて下さっています。

 

 

 

外で6年生きたそうこちゃんは、
みーちゃんという名前の飼い猫になりました。

これで、私が第一世代と呼んでいた、
この地域の♀猫たちは全て、
外の世界にさよならをしました。

 

 

 

 

 

そうこちゃんが生きていた倉庫は本当に小さな場所でした。
たまに塀の上に登ったり、裏の資材置き場にいたり、
門の外、数メートル先まで出ていることもありましたが、
いつ訪れても、そうこちゃんは敷地の中にいました。

今、そうこちゃんが暮らしているSSさんのお宅は、
倉庫前面部分と同じ程の広さか、もう少し狭いかもしれませんが、
そうこちゃんにとっては、ちょうどいい広さかもしれません。

ご飯やおやつをくれる人間を待っている必要はもうありません。
そうこちゃんの視線の先には、忍耐と愛情を持って、
常にそうこちゃんだけを見ていてくれる優しい目があります。

「可哀想」という目で見られることが多かったそうこちゃん。
こんなに安らかで静かな日々が、しかも、こんなに早く、
訪れるとは思ってもいませんでした。

 

 

 

猫は本来、単独行動をする生き物ですから、
そうこちゃんは、倉庫のひとり暮らしを
案外気に入って楽しんでいたのかもしれません。

私達の目から見れば、いつもポツンとひとりで
倉庫にいるそうこちゃんは寂しそうに見えましたが、
そうこちゃんがこれまで幸せだったか、不幸だったかなんて、
実のところ、誰にもわからないのです。

猫にとっての「幸せ」は、人間が決めていいことではないと思います。
外で自由にのびのびと暮らしている猫もいるわけで、
それがその猫にとっては幸せな生き方なのかもしれません。

しかし、猫を保護して室内に入れることによって、
ほら、別の新しい形の幸せもあるんだよ?
と人間が教えてあげることも出来るんです。

もちろん、それを猫が受け入れるかどうかは、
その猫次第だと思いますが、
猫は、本当は、愛情深い生き物ですから、
飼い主が自分に注いでくれている「それ」は何なのか?を
時間はかかっても、やがて理解して受け入れて、
彼らなりの方法で、お返ししてくれるようになると
私は信じています。

そうこちゃんがSSさんの膝に乗って来る日も
そう遠くないかもしれません。

 

 

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その後、私と、ねこ藩・Sさんと、ご近所のGさんとで
倉庫の最後の掃除をしました。

そうこちゃんがいる間は・・・との約束で、
倉庫敷地を使わせていただいていましたので、
そうこちゃんが去った今、場所をOさんにお返しするのです。

そうこちゃんがいなくなってからも、
きれいに掃除をして、中がきれいになってからも、
おばあさんは、門の下からご飯を差しいれ続けました。
その度に、「猫はもういないから、ご飯は入れないでね。」
と、お皿をおばあさんのお宅に返しに行きました。

おばあさんは、「ああ、そうだったね」と言いつつ、
また数分後には、ご飯を持って行ってしまいます。

このように、ずっと置き餌をされたのでは、
違う猫達があの場所に集まる可能性があります。

 

結局、おばあさんが門の下や柵の隙間から、
中にお皿を差しいれることが出来ないよう、
門全体を鳥避けネットで覆うことにしました。

 

 

そして、この場所が抱えていたトラブルを少しでも減らす為に、
いくつかの看板を門に取り付けました。
また、裏の駐車場の管理会社も、
「隣の倉庫にゴミを投げ入れないように」との看板を
提示して下さいました。

 

倉庫は今、静かで、動きのない場所に戻りました。
猫はいませんし、投げ入れられるゴミもありません。

 

 

 

 

おばあさんが、自宅前を通り過ぎて行く人々と
世間話をしている風景を今もよく見かけますが、
日によって、また相手によって、違う話をするそうです。

「あの猫は、野良猫だよ。私はご飯をあげていただけ。」
「私がご飯を入れられないように、あんなネットをかけてった男がいる。」
「倉庫の中にいた猫は病気で死んだ。」
「突然ボランティアの人が来て、猫を保健所に連れていった。」
「土手のそばに住んでいる人が猫を連れて帰った。」

 

 

おばあさんが、そうこちゃんの物語の始まりと終わりを
正確に思い出すことはもうないでしょうし、
飼い主のSSさんにとって大切なのは、
これからのSSさんとそうこちゃんとの日々です。

あの場所でそうこちゃんに関わった人間の心の中にだけ、
そうこちゃんの歴史のアルバムが存在していればいい、
私はそう思います。

 

 

The End.