3月11日。
東日本大震災。
自然が牙を向いて、この小さな島国を襲った日。
私達日本人にとっては忘れることの出来ない日。

 

 

あれから11年。
ずっと忘れることのできない大切なこと。

2022年3月11日。
1年間もの間、緊急搬送と入退院の繰り返し。
辛い闘病生活を送っていたNおじさまが亡くなりました。

 

 

 

 

 

 

2015年夏頃の私は、
「猫ボランティア」と呼ばれるような立場に
自分がいるとは思っていませんでした。
ねこ藩なんていうものもありませんでした。

 

約2年間、自宅路地に来る野良猫や、
その周辺地域の野良猫達のTNR/保護を
断続的に行っていたに過ぎませんが、
そのことが界隈の住人の耳に入り、
伝わっていったようでした。

 

猫繋がりでたくさんの方々と知り合うようになりましたが、
同時に、あそこでここでと、野良猫問題についての
連絡が絶えず入ってくるようになりました。

それは、私がその場所まで出向き、
問題を解決しなくてはならないような流れとなり、
「自分はそこまでの準備が出来ていない」
「自分の本意とはかけ離れた状況に置かれている」と
感じることもありました。

 

 

「怪我をしている猫がいるから何とかしてあげてほしい。」
「猫が庭に来て困っているから何とかしてほしい。」
「耳カットのない猫を見かけたから手術をしてほしい。」

 

 

相談とは名ばかり。
私はあなたにきちんと伝えたのだから、後はお願い。
多くの相談は、そういった丸投げでした。

 

何とか苦労してひとつ乗り切ると、また、次の相談事。
その繰り返しになっていきました。

 

当時、我が家の庭には2匹の地域猫が住んでいました。
家人は動物を飼うことに「絶対反対」の人でしたので、
家の中で猫を飼うなんてとんでもない、つまり、
私は、猫を飼ってもいないのに、
猫ボランティアまがいのことをしていたのです。

庭で2匹の世話をすることに対しても、
「ハウスを撤去しろ」
「ご飯をあげるな。」
「放っておけ。」
「貴女がやる必要がどこにある?」
文句を言われながらの日が続きました。

 

 

 

 

そんな状況にある私が一番困り果てた相談事。
「子猫がいるから保護して欲しい」。

 

 

引き受けられる訳がない。

 

私が住んでいるのは、「保護NG」看板を
大々的に掲げている家人も住む家なのですから。

 

かと言って、お断りすれば、
「子猫1匹保護出来ないで、何がボランティアだ。」
と陰口をたたかれる。

 

 

あのね。
ボランティアだなんて
名乗ったことはないんですよ、私!

 

 

しかし、私にだって慈悲の心はあります。
一人で生きて行けない月齢の幼猫の存在を知り、
「だめ、無理、お断り」と無視することは出来ない。

そこで、身勝手で申し訳ないと重々承知の上で、
猫ボランティアさん達にSOSを発したこともあります。
命の責任者として私がその猫の保護主となり、
医療費を負担し、フードも提供し、里親探しもする。
そして、里親が決まり卒業する日まで、猫を預かっていただく。

肉球家族のIさんや、ふくねこやのFさんには
何度も助けていただきました。

 

 

 

自分の出来ること、出来ないことを整理して考えました。

【やる気があって自分に出来ること】

●捕獲器があるのでTNRはできる。
●車があるから運搬が出来る。
●必要であれば、費用負担もある程度できる。
●インターネットでの里親募集もする。

 

【やる気はあるが自分には厳しいこと】

●他人から猫を預かったり、保護したりして
猫を室内に入れて世話をすること。

 

 

 

猫の保護が出来ない。

 

 

ボランティアにとって最大の弱点。
致命的。使えない。最悪。

(ボランティアとは思っていませんでした、何度も言うけど。)

 

 

しかし、逆に考えれば、その部分だけ、
つまり、猫を預かって世話をして下さる人さえいれば、
色々な事がうまく回り出すのです。

ねこ藩スタートから7年経過した今では、
快く預かりのお手伝いをして下さる仲間がいますが、
当時は、猫問題を持ち込んでくる知人ばかりが増えていき、
肝心の猫の預かり手が全くいませんでした。

 

 

 

2015年初夏。
同じ町内にある廃業した銭湯で、子猫が生まれているから、
一緒に様子を見に行こうと、知人のSさんから連絡が来ました。

複数の成猫に餌をあげていた餌やりHTさんに事情を聞き、
4匹の子猫がいることがわかりました。

そのうち1匹は脳性麻痺により立ち上がることが出来ない子でした。
衛生的ではない現場で、古い竹カゴに入れられたまま。
自力でトイレに移動できないので、カゴの中でおしっこをしています。
「このままにしてはおけない。自分が世話をする」と言って、
Sさんはその体の不自由な子を引き取っていきました。
Sさんはその子に未来(みく)ちゃんと名付けました。

 


寝たきりの未来ちゃん。
ベルベットのような毛並みでぬいぐるみのよう。

 

 

その時期、たまたま同僚講師から、
「生徒さんに子猫を飼いたい人がいる」
と連絡が来ていました。
白キジのしげちゃんを迎えて下さることになり、
数日間、肉球家族さん宅でお世話になった後、
しげちゃんは卒業。
ハルちゃんと言う名前になりました。

 

しげちゃん。
ちょっとビビりですが温和な女の子でした。

 

 

 

サバトラのめめちゃんは、チェリーアイという目の疾患があり、
治るまでは、HTさんがご自宅で世話をして下さることになりました。
貰い手がない場合、めめちゃんは自分が飼うと言うHTさん。
お気に入りの子は手放したくないのだなと、私達は気付いていましたが。

 

強烈にお転婆なめめちゃん。
尻尾がほとんどない為、つるっとした可愛い丸いお尻が
とても可愛かった。

 

 

 

もう1匹の子猫、黒猫のカラちゃん。
私はこの黒猫はパス。この子は連れて行っていい。
HTさんはそう言いました。

 

 

カラちゃん。怖がりだけどとてもきれいな子。
猫の扱いに慣れた人でないと確保が容易でなかった為、
HTさんには気持ちを向けてもらえませんでした。

 

 

餌をあげているメス猫に不妊手術をしなかった。
子猫が生まれてしまって困っている。
未来ちゃんは体が不自由だから要らない。
しげちゃん、カラちゃんは特に愛着もないので要らない。
めめちゃんだけは自分が欲しい。

 

全てがとても身勝手な言い分に聞こえました。
悪い人ではありませんが、
この人のところに子猫は置いておきたくない、
めめちゃんも含めて全て里親さんに繋げてあげたい。
そう思いました。

 

 

 

黒猫カラちゃんを保護するとして、

 

誰が、どこで?

 

 

 

「パパに頼んでみる!」

Sさん宅のすぐ前にある一軒家で、
Sさんが「パパ」と呼ぶ70代後半のNおじさまが
一人暮らしをしていました。

昔は犬も猫を飼っていたこともあり、
動物の扱いには慣れている方です。
部屋にスペースもあるので、ケージも置けます。
Sさんは、Nおじさまに「子猫の預かり」をお願いし、
Nおじさまは快く引き受けて下さいました。

「俺はもう歳だからね、先を考えたら、犬猫は飼えないよ。
でも短期間預かって世話するくらいなら出来るから、連れてきて。」

 

こうして私はNおじさまと知り合いになり、
その後も長くお付き合いしていくことになったのです。

 

 

 

To be Continued・・・