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2021年9月9日のブログ
「ねこ藩城下の猫たち:(14)ポッちゃんのいない庭(2)」
https://nekohan.jp/archives/13543
ポッちゃんを探し、ポッちゃんの帰りを待つこと2日。
草の生い茂る空き家から戻り、着替えをしていると、
玄関のインターホンが鳴りました。
カメラを除くと、隣のおばさまです。
いた、いた、うちの作業台の下にポッちゃんがいた!
昨日はちらりと見ただけで、いないと思ってしまったんだけど、
今、もう一度よく見たら、ずっと奥に毛が見えるの!
急いで、おばさま宅の門から入り、
庭に置いてある大きな作業台の下を覗きました。
作業台の下には、使わなくなった石油缶、
園芸用の土を入れた大きな樽がいくつか、
プラスチック製の道具箱・・・。
そういった嵩張るものが、きちんと収められていました。
門を入ってすぐの場所にある、おじさまの作業台。
この下、塀にくっつくようにしてポッちゃんは蹲っていました。
隙間に手を入れ、少しづつ、物をどかせてみると、
作業台の一番奥、塀に接している部分に、
白とグレーの毛が見えました。
ああ、ポッちゃん。
ここにいたんだね。
うちの玄関からわずか5メートルの
こんな近い場所にいたんだね。
おじさまが、作業台の下から物を次々と移動して下さり、
私は這いつくばって、一番奥に辿り着きました。
ポッちゃんの右前脚を掴み、優しく手前に引っ張ります。
ポッちゃんは「ミャ」と小さい声で鳴きましたが、無抵抗です。
両手でポッちゃんの体をがっちりと抑え、
大切に大切に、気をつけて作業台の下から出しました。
「昨日、もっとちゃんと見てあげれば良かった。
具合が悪かったんだね、ごめんね、ごめんね。」
と、おばさま達は心配そうでした。
ポッちゃんをタオルですっぽりくるみ、
玄関前に用意してあったキャリーに入れて、
すぐに病院に向かいました。
されるがまま。ポッちゃんにはもう抵抗する力もないのです。
末期の腎不全、低体温、極度の貧血に脱水、
そして、口からは何とも言えない毒素のにおい。
抗生剤、ステロイド注射、補液・・・。
先生は淡々と手早く処置を済ませて下さいました。
どうだろう。今晩もつかなあ。
もう本当に最期の時だと思うよ。
腎不全の薬とか、強制給餌とか、
ストレスになるようなことはしないで、
家の中に入れて静かに看取ってあげて。
帰宅すると、すぐに廊下にローテーブルを置き、
その上に、ソフトケージを広げました。
先ほどの病院の処置で、少しは元気を取り戻すかもしれないと思い、
一応、トイレもケージ内に入れました。
ここはどこなのか、なぜ自分はこんなところに入れられているのか。
もうそんなことさえ、どうでもいいのでしょう。
ポッちゃんは、時々小さな声で鳴きながら、ケージの中で蹲っていました。
ポッちゃん、楽にしていいんだよ。
もう何も嫌なことしないからね。
体を横にして、軽いタオルをかけてあげると、
ポッちゃんは目を閉じました。
少し動くようになって、ケージから出てしまい下に落ちたら大変。
そう思って、夜はケージのメッシュ製扉を閉じておきましたが
体勢を変えるのがやっとのポッちゃんには、
ケージを出てどこかに逃げようなんて、
もうそんな体力は残っていませんでした。
7月8日、保護の翌日。
ソルラクトの補液をした後、何度かシリンジから
ポッちゃんの口に水を少しづつ・・・。
ほんの少量ですが、強制給餌でa/d缶を口の中に入れると、
なんとか飲み込んではくれましたが、
2度目は「もうやめて」というように、
頑固に顔を背けてしまいました。
トイレを使う体力はもうありませんから、おしっこは垂れ流しです。
ポッちゃんの体を持ち上げて、蒸しタオルで拭いてはいましたが、
また濡れては気持ち悪いだろうと思い、おむつをはかせました。
呼吸は少しづつ荒くなっています。
ほぼ同じ体勢のっまま1日中横になっていました。
7月9日。
前日、ほとんど食べ物を口にしていないので心配になり、
また、ソルラクトの補液もストックがなくなりそうでしたので、
ポッちゃんを病院に連れて行きました。
出来ることがあるとすれば、強制給餌と補液を続けること。
但し、それはもう延命治療以外の何物でもありません。
ポッちゃんは治療をすれば回復するというような状態ではなく、
死に向かって少しづつ歩んでいるところなのです。
ハンサムなポッちゃんの顔が変化していきます。
目は吊り上がり、目の焦点も定かではない。
死を前にした、猫の苦しい表情をしています。
そんな怒ったような顔をしないで。
美男子が台無しだよ?
ポッちゃんの顔を拭きながら、頭を撫で、ブラシをする。
時々、ポッちゃんは、何かを想い出したように
突然、「ミャ」と鳴きます。
夕方の強制給給餌では、今、飲み込んだと思った
ほんの少しのフードを全て吐き出してしまいました。
もう何も飲み込めなくなってきているのです。
あうーーーーー
夜の10時頃でしたか、ポッちゃんが突然甲高い声で鳴きました。
そしてその直後から断続的に痙攣が始まったのです。
数分の痙攣の後、ポッちゃんはガクッとなり、
またしばらく静かに眠ります。
ポッちゃんが落ち着いたように見えたので、
その日最後の補液をしました。
7月10日。
朝からポッちゃんは、甲高い叫び声と痙攣を繰り返しています。
私は病院に電話をして、補液をいつストップするかについて先生と話し合いました。
今の時点で補液をするということは、
時計の進むスピードを少しだけ遅くしているようなもの。
補液をやめた時点で、体内に毒素が回り意識が混濁してくる。
そして本人は何もわからなくなって最期を迎える。
もうやめてあげてはどうだろう。
わかっていたことです。
でも、「ポッちゃんが死ぬ。」という事実を受け止めたくなくて、
それが延命治療に過ぎないとわかっていても、
点滴と強制給餌をして、何とかポッちゃんに頑張ってもらいたかった。
それは、ポッちゃんの為じゃなく、自分の為だったのだと思う。
補液はポッちゃんの生の、最後の頼みの綱。
その補液をやめる決断を下すのは自分。
でも、誰かが「もうやめて」と言ってくれない限り、
握りしめた綱を手放す勇気がなかったのです。
1時間に一度くらい、「アアアア・・・・・」と鳴き、
その直後に、3-4分の激しい痙攣。
私はポッちゃんの体を擦りながら見守ることしかできません。
時々、ポッちゃんの様子を見にソフトケージの中を覗き込んでいた
くりこ、こまつ、トントンでしたが、
自分達の仲間にこれから起こることを理解しているのでしょうか。
まるで、旅立って逝く者に敬意を払っているかのように、
鳴くこともなく、静かに静かに過ごしています。
その晩は、ポッちゃんのことが心配で、なかなか寝付けず、
夜中に何度も起きて、ケージの中のポッちゃんの様子を確かめました。
7月11日。
保護してから4日目の朝。
呼吸の度に規則正しく上下に動いていたお腹の動きが
徐々にゆっくりになってきました。
少し空いた口から、少し血液の混じった唾液が垂れていましたので、
ウェットティッシュで顔をきれいにしました。
ポッちゃんはもうぬいぐるみのようにされるがまま。
何の反応も示してはくれません。
甲高い鳴き声も聞こえなくなり、痙攣の頻度も少なくなりました。
そんなポッちゃんをずっと見ていて、思いました。
私が見ているこの姿は、
ポッちゃんが、猫という生き物として
生きていた時の器に過ぎない。
ポッちゃん自身は、もうここにはいないんだろう。
何見てるの。それは空っぽの体。俺はこっち。
ポッちゃんが天井あたりから、
私にそう話しかけているような気がしました。
もう鳴き声も聞こえない。
お腹も動かない。
ポッちゃん?
7月11日土曜日。
午前11時20分。
ポッちゃんの呼吸と心臓が止まりました。
ポッちゃん、ポッちゃん、ポッちゃん・・・。
「ごめんね。」
まだぬくもりの残る痩せた背中を優しくポンポン。
動くはずもありません。
ポッちゃんという存在が
永遠にこの世から消えた瞬間でした。
To be continued ・・・・・・