222。

 

ニャンニャンニャンという語呂合わせで、
日本ではこの日がネコの日となっています。
巷では、猫限定グッズが販売されたり、
SNSでは普段以上に、飼い猫達の可愛らしい画像が見られたり。

そんなお祭り気分の猫の日、悲しい出来事がありました。

 

 

 

地域猫モッチーが生涯を終えました。

 

 

 

 

モッチーについて。
2018年5月9日のブログ。
東奔西走:⑤東西の猫たち~猫待ちの日々。
https://nekohan.jp/archives/8029

 

 

 

 

 

2017年~2018年の冬、この地域にいる野良猫みんなTNR!と決めて、
捕獲していった猫達の1匹がモッチー。
仲間のM姉妹が住む集合住宅の駐車場所にしかけた捕獲器に入った猫です。

この界隈のことをよく知るM姉妹でさえ、モッチーを見たことがなく、
他の方々数名に尋ねてもモッチーの目撃情報がほとんどないことから、
他の場所から足を伸ばしてパトロールに来たオス猫だったのだろうと
その時は思っていました。

 

当時TNRした猫達のうち、リリース後の様子がわからず
心配していた猫が2匹。そのうちの1匹がモッチーでした。

(もう1匹のはっちゃんは後日、少し離れた知人の店に現れ、
以降、その場所で地域猫としてお世話をしてもらった後、
仲間のNちゃん宅の飼い猫となっています。)

 

 

 

 

 

2年程経った頃、少し離れた場所で、
あるお宅の塀の上にいたモッチーを偶然を見かけました。
そしてその向かい側にあるYさん宅の敷地に、
お水、フード、寝床が置いてあることに気付き、
Yさんがモッチーのお世話をしてくださっていたことがわかりました。

参照:2019年4月24日のブログ
東奔西走:⑫西の猫たち~猫に境界はない。
https://nekohan.jp/archives/10497

 

 

 

 

 

 

そこから少し離れたNさんというおばさまも、
庭にモッチーの為のベッドやフードを置いてくださっていました。

 

Yさんが雨避けの下に置いてくださっていたのは段ボール箱で、
横殴りの雨になると濡れてしまいますので、
屋外用コンテナで作った外猫ハウスを、Yさんに提供しました。

 

 

 

 

モッチーは2か所でご飯をもらい、居場所も定まって、
非常に狭いテリトリーの中で過ごしていたようです。

 

 

 

そんな地域猫生活がずっと続くと思っていましたが、
Nおばさまが亡くなり、モッチーの居場所はYさん宅だけになりました。

 

そのYさんも、2023年4月、住んでいる住宅を売却し引っ越すことになりました。
その際、敷地にハウスを残しておくことは出来ず、
モッチーは居場所も毎日の食事の機会も全て失いました。

 

 

モッチーがいた場所と、外猫の世話をしているMさん宅、
そして常に庭に地域猫の家がある我が家はそう離れていません。
少し足を伸ばせば仲間のNちゃん宅もあります。
また隣の通りには、長年、庭で地域猫達にご飯をあげて下さっている
Kさん宅もあります。

2年前に、Kさんが「うちに初めて見るこんな子が来ていました」と
モッチーの画像を下さったことがありましたので、
たどり着くとしたらKさん宅だろうと目星をつけていました。

 

 

N:モッチーにご飯をあげていたNさん宅(給餌終了)
Y:モッチーの世話をしていたYさん宅(給餌終了)
K:隣の通りのKさん宅(新規給餌場所候補)
M:地域猫の世話をするMさん宅(新規給餌場所候補)
N:地域猫の世話をするNちゃん宅(新規給餌場所候補)
H:我が家(新規給餌場所候補)
青で囲んだエリア:モッチーの生活圏

 

 

生き抜くためには食べなければなりませんから、
空腹になれば、モッチーも必死で食べ物にありつけそうな場所を探すだろう。
そう思っていましたが、Yさんが引っ越しした4月以降、
どの給仕場所にもモッチーは現れません。

どうしているんだろう。

 

次に私がモッチーを目撃したのが、2023年8月です。
以前お世話になっていたNおばさま宅の裏手の方に入っていくところでした。

 

ああ、やっぱり、長年自分がいた場所から離れず
留まっているんだな。
その時のモッチーは特に痩せてもいなかったことから、
居場所は不明でも、食事には困っていないことがわかりました。

 

 

痩せてはいませんが、毛並みは悪い。

 

 

 

この地域に、もう1-2名くらい、モッチーに
ご飯をあげている住人がいるのかもと推測しましたが、
それがどなたなのか見当がつきませんでした。
だいたいどの通りにも、知り合いは1-2人いますが、
全ての住人を存じ上げているわけではありませんから。

 

 

 

 

Kさんが気付かないだけで、モッチーはずっとKさん宅で
ご飯を食べていたという可能性もあります。
Kさんは常にお皿にたんまりフードを盛って、
敷地内の階段下に置きっぱなしにしていますから。
どんな猫がやって来てご飯を食べているのか、
いまいちはっきりわからないのです。

 

 

 

気温の下がった11月頃はとても気になりました。
TNRから5年以上も、モッチーにはハウスがあったのです。
雨風を凌げる場所、静かに眠れる場所、寒さから身を守る場所。
それがない今、春夏の間はいいとしても、
モッチーにとっては厳しい越冬になります。

 

 

2017年の不妊手術の際、獣医さんの見立てでは、
軽く2歳は超えている、ということでしたから、
モッチーはもうシニア期に入っている猫です。

外で生きている子は、健康面で、
室内飼いの飼い猫より早く老いていくことが多いですから、
モッチーもシニア期に入っているというより、
結構なシニアの部類でしょう。

 

そんな時に体を休めることの出来るハウスもない・・・・。
考えるともう心が痛くて痛くて。

 

 

 

 

 

年が明け、1月に入った頃。
この地域で白が多めの白キジの死体回収があったと人づてに聞きました。
ぎょっとして、清掃課に問い合わせ、
猫の特徴と回収した住所を教えていただきましたが、
モッチーではないことがわかりました。

 

 

それから数日後。
モッチーが敷地内に設置してあるハウスに入っていると
Kさんから連絡がありました。
やったー!と叫びたい気分でした。

 

 

 

 

Kさん宅にいた地域猫達は
近所の方の飼い猫となって室内に入ったり、
亡くなったり、居場所を他に求めたりして、
定住猫がいなくなっていた状況でしたので、
そこにモッチーがぴたっと入り込んでくれれば理想的。

 

 

Nさん、Yさん・・・お世話をして下さった方々が去り、
取り残されてしまったモッチーは、これでやっと
Kさん宅で余生を過ごせる・・・とほっとしました。
Kさんも、これまでのモッチーの経緯をご存じでしたので、
我が家にいる限り、きちんとご飯をあげますと
言ってくださいました。

 

 

Kさん宅に居つき始めたモッチーの体系は明らかに変化していました。
筋肉質でしっかりした体格のモッチーが若干小さくなり、
とにかく毛並みがぼろぼろ。
毛づくろいをしなくなった猫のあの状態です。
2020年に看取った我が家の地域猫ぽっちゃんの姿と重なりました。

モッチー、大丈夫だろうか。

 

この寒さの中、少しでも安心して暖かいハウスで休んでほしいと思い、
柔らかい敷物と毛布をKさん宅に持っていき、
モッチーハウスの中に入れました。

 

「モッチー、喜んでずっと入っていますよ!気に入ったみたい!」
「ごはん、きちんと食べています。」
「このままずっとここに住んでくれればいいけど。」

 

 

 

それから、2週間も経っていない、2月22日の夕方、
Kさんから連絡がありました。

 

「モッチーが亡くなくなりました。」

 

 

 

 

 

モッチーはハウスに入ろうとするかのような姿勢で息絶えていました。
トイレをするためか、食事をとるためか、
ハウスの外に出て、また戻ろうとした時に、
突然の終わりを迎えてしまったのでしょうか。

 

知らせを聞き、モッチーを箱に入れてあげるために
Kさん宅に出向きました。

 

目を見開き、喘ぐような口。辛そうな死に顔。
もうだいぶ硬くなっていましたので、開くことは出来ませんでしたが、
口の中を少し覗いてみました。口内環境はとても悪そう。
鼻水、涙、涎の跡もあります。

 

昨日今日の病気ではなく、腎不全か何かかもしれません。
少しづつ悪くなっていき、やっと居場所が定まった頃は
病状がガタンと悪化して終末期に入った時期と重なったのではないかと思います。

溜息が出てしまいました。

 

 

この地域の地域猫達の多くは手厚いお世話を受けています。
給餌や寝床が突然なくなってしまうこともない。
そして、程度の差はあれど、世話をしている人たちに慣れてきています。

 

そんな猫達が多い中で、モッチーはLone wolfの生き方を貫いたような猫でした。
他猫ともつるまず、人間に対する警戒心も決して緩むことはなかった。

外で生まれ、外で生き延び、人間の都合でTNRされてもなお、
野良猫気質を失うことなく、孤高の猫生を過ごす。

そういう性格の猫だったと考えれば仕方のないことかもしれませんが、
人間たちがモッチーの可能性を信じて、
別の面を引き出してあげることもできたのではないか。
そんな気がしてなりません。

 

人の見ている前で食べるようになる、
人が見ていてもハウスの中で休んでいるようになる。
モッチーがそんな猫になる可能性も十分あったでしょう。

 

でも、私を含め、モッチーに関わった人間たちは誰もそれをしなかった。
誰も積極的にモッチーに関わろうとしなかった。
TNRするだけ。餌をおくだけ。寝床をおくだけ。
あとはどこにいるのかわからない。

 

一方、モッチーと同時期に、ほぼ同じテリトリー内で
TNRされたソルトは、何軒家のお宅に出入りし、
早い時期に人に慣れてきたため、
時には家の中にまで入れてもらったりして、
可愛がられていました。
そして、最後はお世話をしていたYさんに保護されました。
病気が発覚すれば通院し、手厚い治療を受けて、
Yさんの飼い猫となり、Yさんと一緒に引っ越していきました。

 

 

 

数年間お世話をしてくださったYさんは、
引っ越して行った後も、他の用事で何度か連絡は下さっていますが、
「モッチー、無事他の場所にたどり着いたでしょうか。」
「モッチーは元気でいますか。」等、
モッチーについては一言も触れずじまい。
私はそのことをとても寂しく思っていました。

Yさんに提供した外猫ハウスの掃除が全くされていなくて、
真冬の寒い時期に様子を見に入ったら、
夏用の敷物が黒くぐちゃぐちゃになって隅っこに丸まり、
ハウスの中にはたくさんの枯れ葉やゴミが入り込んでいました。
引っ越しの際にハウスを返却して下さった時、
ハウスは掃除も洗浄もされていない、中の敷物もそのままの状態。

決して悪い人ではありません。
しかし、モッチーに対する情、気持ちというものを
Yさんから感じ取ることは出来ませんでした。

 

 

モッチーが居場所を失った時期、無理矢理捕まえて
我が家の庭に放してみてもよかったのかもしれない。
放したら、モッチーは一目散に逃げて行き、
我が家にとどまる可能性は限りなく低かったでしょう。
それでもゼロではないのだから、やってみればよかった。

今更ながらとても後悔しています。

 

 

 

2月24日土曜日に、花に囲まれて箱に収まったモッチーを
クリーンセンターの小動物火葬に連れて行きました。
少しでも関わった猫だから、見送ってあげたいと、
Kさんが一緒に来てくださいました。

 

 

Kさんの自宅敷地で見つかって良かった。
行き倒れ、人知れずひっそり朽ち果てていったり
以前、荼毘に付したふじみちゃん(とらちゃん)のように、
世話人が最期に立ち会えないことの方が多いのですから。

 

 

モッチーのお墓は、市川市の動物慰霊碑になります。
我が家のお墓がその近くにありますので、お墓参りの度、
動物慰霊碑に寄って献花したりお線香をあげたりしますが、
これまでに亡くなった、私が関わった子たちに、
モッチーが加わります。

 

 

 

推定8-9才。
外の猫としては、長く生きた・・・と言われるかもしれません。
でも、彼はもっともっと長く生きたはずです。
長い猫生を送れるような環境を
私たち人間が与えてあげさえいれば・・・。

 

 

このエリアの地域猫も本当に少なくなってきました。
モッチーの死を新たな教訓として、
今生きている子達をきちんと見守っていきたいです。

 

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クリーンセンターの火葬代はねこ藩から支払い、
お花代は、私とKさんで折半しました。
皆様からのご支援のおかげで、フードや医療費だけではなく、
こうした費用もカバーすることが出来ています。
ありがとうございます。