前回のお話
3月17日のブログ
東奔西走:①野良猫製造工場
私は自分の日常を犠牲にしてまで、 来る日も来る日も
猫の為に奔走するタイプのボランティアではありません。
それをやってしまうと家族に迷惑がかかり、
自分の仕事や健康に支障をきたすことがわかっているからです。
私は癌を患った経験がありますから、ストレスが何より怖い。
出来ることをやる。
ボランティアさん達の間でよく聞かれる言葉ですが、
出来ることを出来る範囲でやるどころか、
無理してやらざるを得ない状況になっていると
嘆くボランティアさんもいます。
「出来ることを出来る範囲でやる」と
私も時々口にすることがありますが、
その言葉の真意は、
「やれば出来そうなことを、やりたい範囲でやる」です。
義務とか責任とかを一人で背負い込む気はありません。
ボランティアというのは自発的に行動する人間のことです。
やらないからといって罰せられることはないし、
絶対にやれ!と他人から強制されることでもない。
ボランティア活動を行う人間自身が
自分で決めて行動に移せばいいことです。
私はその基準を「やりたいのかやりたくないのか」で
決めているんだと思います。
だからといって、 「やらない」選択したことを、
「やらない」他人から責められるのはまっぴらごめんです。
「なんで私がこんなことまで?」
以前はよくカチンと来ることがありました。
でも、やらされていたわけではない。
やらずにいることも出来たのに、
自分自身が「やる」選択をしたんです。
それを忘れていました。
猫のボランティア活動って何。
これまでに何度も立ち止まって考えました。
日常の生活から、仕事、家事、雑用、趣味を差し引いて
あまった時間をボランティア活動にあてる。
自分の日常をコントロールするのは自分の頭と体であり、
日常の中に余裕があれば、そこにボランティア活動を組み入れる。
それが昔、私が考えていたボランティア活動でした。
とんでもないよ!
気が付けば、私の日常は、猫のボランティア活動に振り回され、
その活動の合間に他のことを大急ぎでアバウトにやっている。
こっちの猫の話、あっちの猫の話、
これをやって、あれをやって、
ここもあそこも、やってもらえません?
私は器用な人間ではありませんから、
同時にいくつもの案件を抱えると
あらゆることが中途半端になると自分でわかっています。
2、3の案件の解決をまず頭に入れて動き、
終着点が見えてきたら、次の案件に着手する準備。
「よし、これが終わったら、次はあれとあれ。」
と自分で計画を立てて仕切る。
ですが、その通りにならないのがこの活動です。
案件というのはだいたい数珠つなぎになっていて、
優先順位を決めてリストにするわけですが、
常に新しいことが割り込んでくる。
昨年、リストが狂ったせいで、準備が間に合わなくなり、
イベント前日に参加をドタキャンしたことがありました。
そういうのはよくない。
野良猫製造工場の件は、いつか何とかしなくては
この地域はひどいことになるな・・・と思っていましたし、
その何とかしようとする人間は、今のところ、
自分しかいないのだろうとわかっていました。
しかし、切羽詰まった状況というわけでもなく、
やってもやらなくても誰も何も言わない地域ですから、
ついつい後回しにしてきました。
人慣れしていない子猫も大人猫も見てきました。
世代が変わったのか、同じ場所に違う猫がいるのも見てきました。
2017年の10月くらいから、猫関係の知人達から、
この地域の猫に関する話が立て続けに入ってくるようになりました。
「子猫を連れて我が家に野良猫一家が8匹くらいやってくる。」
「あの辺、子猫より少し大きい猫が何匹もいる」
「うちの外猫に新しい猫が喧嘩をしかけにくる」
「駐車場にわらわらと猫がいた。」
春田アパートに、ジャングルハウス…。
忘れていたわけではないし、忘れようともしていない。
頭の中で、モーターはずっとブンブンまわっているんです。
やる。
やらない。
やる。
やらない。
痛んだり痛まなかったりして、
一向に完治しない 自分の足裏に問いかけるんです。
あ~もう休みたい。
あの袋小路に住む10世帯の住人達が皆でお金を少しづつ出し合い、
協力して猫達の不妊手術を済ませ、
春田アパートのおじさんが猫の世話をしていけば
あの区画はうまくいくのになあ。
我が家までパトロールで出張して来る猫を待ち伏せて
また1匹づつ手術・・・・・?
あ!
ある言葉を思い出した。
計画なき目標はただの願い事に過ぎない。
(サン=テグジュペリ)
ですよね。
ちゃんと向き合います。
ごめんなさい。
To be continued ・・・・