猫を預かったり引き取ったり出来ないくせに
「何が保護活動だ、偉そうに!」と言われたことがあります。
それについては、反論することは出来ませんし、
他人がそう考えるのであれば、仕方がないことだと思います。
補足させていただくと、
依頼されたり、相談されたりのケース以外、
つまり、自分の意志で、という意味ですが、
「この猫はこのままにしておけない」と判断した時には、
家人に状況を説明し、納得してもらい、了解を得た上で、
自分で保護して自宅に連れて帰り室内に保護、
里親探しをして1匹づつ送り出してきました。
家族の同意が得られない以上、
他人が保護した猫を簡単に預かることは出来ないが、
自分で保護した猫には当然のことながら責任を持つ。
それが我が家の現状であり、精一杯のことです。
それが、今の私に出来ることです。
「どうにかしてください」相談が、
将来もまた、くるかもしれません。
その時に私はどうしたらいいのだろう。
いつもいつも、他のボランティアさんのご厚意に
縋ってばかりいるわけにもいきません。
皆さん、ご自身の保護猫のことで手一杯です。
批判、非難があることは承知の上で、
時には「ごめんなさい。」と断る勇気も
必要になってくるでしょう。
相談がある度に、ボランティアの人間達が
猫を丸投げで引き受けていたのでは、
「ボランティアは猫を引き取る存在」という
誤った定義が広まってしまい、
特定の人間達だけに、猫の保護が、猫問題が、
常に集中し続けることになります。
猫の救済=猫の保護活動においては、
その裾野が広がっていかなくては
いつまでたっても同じこと。
ボランティアの負担は決して減りません。
ボランティアのcapacityを無理に押し広げるのではなく、
capacityを持った人々が増えることが必要です。
ボランティアでなくても、
ご自身で「何とかする」方はいらっしゃいますが、
その「何とかする」方々が増えていかなくては困ります。
行政が認めた「登録ボランティア」というものが
存在する市町村もありますが、
通常、ボランティアという肩書きは「自称」です。
ボランティアである為には何の資格もありません。
自分がボランティアだと思ったら、ボランティアだし、
自分はボランティアではないという意識があれば、
ボランティアではありません。
ボランティアでなはいごく普通の住民の方が、
1匹の猫を外から保護して、世話をして
里親探しをして・・・
という経験は、誰にでもあることではないと思いますが、
あったとしても、一生のうち1,2回のことかもしれません。
ボランティアに丸投げするのではなく、
「何かの巡り合わせで、これは今、自分がするべきこと。」
と受け入れ、それをひとつの経験と捉える。
自分で出来ることはやってみた上で、
足りない部分の手助けが必要、というのでであれば、
知恵や手を貸してくれるボランティアさんはいるでしょう。
むしろ、喜んで力を貸してくれるのでは?と思います。
ボランティアの人間だって、
最初からボランティアだったわけではありません。
初めて仕掛けた捕獲器を見張る、心臓バクバクの時間。
初めて子猫を保護してオロオロした経験。
ボランティアの人間にもそんな「初めて」の時があったんです。
特別な人間でも何でもない、ごく普通の住民です。
猫を助けて欲しいと思った時、
その猫を助けることが出来るのは、
助けて欲しいと思っている自分しかいない。
そういうことだと思います。
(と、ふくねこやさんに寄りかかった私が言う。)